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近所の床屋

近所に床屋が2軒ある。その内の一つには30数年間行き続けているが、そこの大将(マスター)は後期高齢者。段々と動きも悪くなり、話し出すと止まらない。それも手を止めて話すので散髪自体がなかなか終わらない。『あんたの話し相手に来てるんとちゃうで』という場面が頻繁

たまには、浮気をしようともう一つのそれに行った。出て来たマスターは 行きつけのそれと変わりない年代〜。何か動きも危うい。多分、軽い脳こうそくの後遺症なのだろう。左手の動きは余計に危なっかしい。一人の客にマスターの配偶者も付いて、細かいところはその配偶者が補ってと何とも微笑ましい風景ではあるが、床屋の一人の客としては緊張しっぱなし 特に、剃刀を使うところでは、背中に冷や汗が流れた 。もっともさすがにプロ、髭そりの時には手の僅かの震せんはぴたっと止まり、動きはスムーズであったが。 まな板の鯉状態の緊張の50分は終了 した。

近頃、床屋の閉鎖が目立っている。そのしんどさに比例するほど儲からないのか。そんな中、後期高齢者で現役で頑張っている床屋のマスターもいる。自分自身に置き換えた場合、この年齢でも仕事を続けていられるのか自信は全くない。もちろん、仕事の種類も質も異なるので一概に比較はできないが。

近所の床屋のマスターには敬意を表するが、今後、一度裏を返して、その後馴染みになるかは微妙である。

ある出来事

 先日、新幹線に乗る機会があった。指定のそれの出発時間までは余裕があり待合室へ。手持ちの新聞を読み終えて、ふと気がつくと公衆電話が。珍しくそこに「個人別電話帳」がある。近頃は、職種別電話帳はあっても加えて個人別のそれがあるのは稀有である。

 手にとって何気なくページを捲って見ていると、あるページで手が止まった。「○○光範」・・・どこかで聞いたような名前である。中学校の同級生 当時は、大阪府の豊中市在住。電話帳では大阪市内。今日の朝、何を食べたのか覚えていないのに、50年近く前のことははっきりと覚えている。正しく高齢者に特有の現象である。
 
 中学校を卒業して数年後、彼から年賀状をもらった記憶がある。直ぐに返信はしたが、翌年に年賀状を送ったのか記憶は定かではない。これまで、なぜかふと彼の名前を思い出すことはあった。まさかとは思ったが、とりあえずその電話番号をメモしておいた

 数日後、電話で「失礼ですが・・」と連絡。怪訝そうな声。そりゃ、そうだろう。見ず知らずの男から突然、「豊中に住んで、◎◎中学校に行ってませんでしたか」と聞いてきたのだから。でも途中で、彼が「△△(当方の名前)くん?」と。懐かしい時間が過ぎるのは早い。 再開を約束して電話を切った。

 実は、これと同じような出来事は二度目である。阪神大震災の直後、テレビでは消息不明者や「震災孤児となった人を預かります」などのお知らせが流れていた。その中で、数秒間だけその氏名、連絡先が。慌ててその連絡先をメモ。大学時代の同級生と同姓同名だったのである。彼は当時の学園闘争の中で中退、全く消息不明。後日、連絡したところ正しく彼だった

 私のような年齢になると、ふとした瞬間に数十年も前の出来事を思い出すことがある。高齢者特有の現象と片づけるには、あまりにもわびしく、寂しく、懐かしく、蜃気楼のようなものではあるが。

事故、その後

「事故」は3月3日(水)、時間外に飛び込みで行った病院は信用できないと、
土曜日に別の病院に行きました。整形外科のドクターの肩書きは「顧問」、
確かに、数十年前にはその業界では名を馳せた人です

でも・・・。今、どこの業界でもIT化は進んでいます。医療もその例外ではあ
りません。ただ、それを駆使できるかどうか、ここが問題です。
「じゃ、レントゲンを撮りましょうか」と言われて、レントゲン室へ。そこで
の撮影が終わって整形外科に戻って来れば、そのフィルムはLANで繋がっており、
診察室のパソコンを開けば直ぐに見ることができます

が・・・。ドクターの行動は、「えっと・・」キーとにらめっこで画面がなかなか
開けません。診察室付きの看護師の助け舟でやっと開きました。「骨折はないなぁ」

それから10日、痛みは全く治まりません。さすがに焦ってきました。「そんな筈
はないんやけどなぁ。念の為に、レントゲンを」。また、レントゲン撮影です。
撮影後の画面を見ると、右手の付け根附近の骨にはヒビが入り、ズレています。
「ありゃ・・・」。驚くのはこちらです。プロが驚いてどうする・・・。
そんな心境です

患者の訴えは、聞こえていないのか、聞こうとしないのか、看護師の「通訳」で
やっと通じる始末。「昔の名前で出ています」は、止めてほしいですねぇ

まぁ、ケガ、病気など原因が分かれば、半分は治ったも同然です。別にケガだけ
には限りませんが。そんな訳で、じっと日にちが経過をするのを待っています。

事故

とうとうやってしまいました。

自転車での事故。自損ですかから文句は言えない。それにしても痛かったです。感じたのは、判断力のの鈍さ、視力の低下、集中力の無さ・・・どれもこれも年相応に起因する症状のひとつです

20時頃、自転車で利用者宅を訪問。その帰途、交差点で信号が青から黄に変ったのを現認、慌ててベダルを踏みなおして・・・多分、時速25km〜30kmで交差点を渡り切りました

何故か、そこに歩道と車道の境を区切る縁石がありました。なんで?と思うまでもなく、縁石に自転車のタイアは乗り上げました。越えられると一瞬は思ったのですが、タイアが着いて来ません。当然、身体は2〜3メートル先に。。。かばう為に、右手をついたのですが支えきれません。顔をから地面突っ込みました。眼鏡は吹っ飛び、右頬、、右唇から地面を滑って。

まぁ、病院での診察では骨折はなく、ほっとしました。 教訓:薄暗いところでは飛ばすな(もちろん、自転車はライトを点けています)。年相応の動きをすること。

この間の出来事は、多分、数秒間・・・人間って僅かの時間に色んなことを考えるものです。縁石!あっ、身体が浮いた!手で庇わないと!ムリか!眼鏡が吹っ飛んだ!・・・・大げさに言えば、死亡事故でも当事者は瞬間的にこうしたことを考えているのでしょう。再認識です

それにしても、病院の対応の悪さには呆れました。時間外とはいえ、こちらは血液が滲んで出てくるのに止血はおろか、消毒もしてくれません。レントゲンを撮って、診て「骨折はありません。痛み止めをだしておきましょうか」。それだけです。普通なら「身体で他に打ったところは?」って聞くでしょう。一切、ありません。「お大事に」それで終わりです。こんな病院とは、今回でオサラバです

この出来事って・・・労災扱い・・・ですよね

京都府の実地指導

疲れました。京都府から「訪問します」との連絡があって一ヶ月。針のむしろ状態が終わりました

当事業所は介護保険発足に合わせて平成12年に開設されています。それから12年、全国のいろんな所で、いろんな事業所が不正を行ってこの業界から追放されたり、また運営方法が間違っていることでペナルティを課せられたりということはイヤが上でも耳に入ってきます

その度に、この方法でいいのか、間違いがないかと事業所内で自問自答を繰り返してきました。そんな中での結論は、自分たちは悪いことをするつもりで動いているものではない、また決してあくどいことはしていない。たまたま、そのやり方が間違って指摘を受ける事になってもそれはその時に、修正すればよい。利用者本位に行動している限りは、決して恐れることはない。帰結はいつもこうです。

1ヶ月の猶予期間は有難い。行政の立場でも「少しの見直しの時間を与えるから」ということでしょう。当事業所所属の介護支援専門員は約10人(実際に、給付管理をしていない者もあり、月によってそれが動くため確定し難い)。1ヶ月の間、自分の仕事の見直しです。見直してみると「うっかり」の事務がぽろぽろと露呈します。実際に訪問しているのに、それが記録されていなかったり。慌ててノートを引っ張り出してその時のことを確認・・・。どんなに利用者本位で走り廻っていてもそれが記録されていなければ、何もしていないことと同じ。記録の重要性を再認識する機会となりました。

そして当日。京都府の担当者は、まるで「関八州見回り組み」の雰囲気です。丸々4時間半、休憩などは取り様も無く、緊張の継続です。なるほど当方もプロなら相手もプロ。問題点をきちんと発見してきます。そして4時間半。。。終わりました。幾つかの問題点が指摘されて、これを改善するようにとの指示がありました。

それでも、毎月1回「やわら会」を開催、そこで皆で勉強会で話し合ってきたことは決して間違いではなかったことが改めて認識することが出来ました。利用者本位の姿勢さえ崩さなければ今後も大丈夫ということでしょう。

それでも疲れました。帰宅するとドット疲れが出て、そのくせして興奮状態だけは続いて、寝られません。結局は翌日以降も疲労が継続しています。こうした時に、自分の年齢をひしひしと感じます
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