年末のある水曜日、知人から「近所の人が癌末期、この先、長くはない。何とか相談に乗ってほしい」との連絡がある。とにかく、介護保険を利用するには認定の申請が必要だからとの私の説明に、「じゃぁ、私が家族に代わって申請してくる」とのこと。何と行動力のある人である。
土曜日の夜の9時頃、「月曜日に役所から認定調査に来るので、その時の対応はどうしたらいいん?」と電話。よく考えたら、その対象の人とは顔も合わせていない。9時半に知人と同行訪問。腹水が溜まって腹は力士並。シンドイ筈ではあるが、そんなことはこれぽっちも顔には出さず、明るく振舞っておられる。
「模擬調査」をして、本人には安心感を持ってもらった。調査と名がつけば誰でも緊張するものである。同時に当方もその人の概略が把握できた。立ち座りはふらつきもあり、かなり危なっかしい。介護用ベッドがあれば、トイレや食事のための移動時の立ち座りはかなり楽な筈。
原則として○○市の場合は、認定調査時はケアマネージャーは立ち会わない。強引ではあるが、調査を済ませたその日にベッドの手配をする。並行して、認定を早くしてもらうために役所に行って「この先、短く、自宅で穏やかに過ごしてもらうためには介護保険サービスは必要。何とか認定を早くして」と訴え、直近の認定審査会で審査してもらうこととなった。
この辺が介護保険の運用の難しさ。必要ではあるが、直ぐに使えない制度。それでもその決まり事を無視するわけにはいかない。本人の担当医師に照会してベッドの必要性を確認、同意ももらった。以前とは違って、自宅での介護に理解のある医師が増えたのは有難い。翌日にはベッドの納品ができた。自宅を訪問して本人、家族の感想を確認、仕事の充実感を感じるのはこうした瞬間である。
数日後には、腹水を抜くために入院となる。病室を訪問すると近所の人が来ている。本人の付き合い広さが分かる。そんな中「家に帰りたい。日は決めたから」と。予め得た病院の相談室のソーシャルワーカーの情報によれば、直ぐに帰るのは無理の筈。「帰ったら、家に行きますから」とそれには触れず辞す。
帰宅された時の療養について、かかりつけ医を奥さん、知人と訪問。病院からの情報提供書を見られて、「とても帰るような状況ではない」。「本人の想いを組んでほしい」とのこちらの訴えに、最後には「帰るんやったら、こちらも努力するから」との返事。
数日後には「約束通り」家に帰られた。認定の結果が「介護度2」となった。自宅を訪問、顔色は良くないが、相変わらず能弁。「ホンマは3を狙っててんけど2になった」と笑われている。
年末から年始の休みには何も連絡はない。正月は家で過ごされたのかと思っていると、4日に家族から連絡があった。31日に痛みが激しくなり、急きょ入院、1日に死去した。ただ、それまでに家族を集めて、「お母ちゃん(妻)を頼むで。。。」と言われたとのこと。
何と潔い幕引きであろうか。でも、旅立ちへの「儀式」は本人と家族のそれである。ケアマネは送るまでの手伝いをするのみ。短いお付き合いではあったが、いろんな意味で教えられた関わりであった。